【連載】介護家族をささえる (2019年2月会報より)

2019.04.07会報

<電話相談>

代表を交代したころは介護保険が施行される数年前で、介護に関する出版物もたくさん出回るようになっていた。介護に悩む介護家族の相談場所として家族の会が紹介されることが多くなり、必然的に事務所への相談電話も増えてきた。

「おばあちゃんが…」「夫が…」いろんな電話が掛ってきた。応対するが、電話の声はどうしても年齢が出る。相談者は60代以降の人のほうが多いため、「お若いですね」と言われることもあった。そんな時はすかさず「うちも義父が認知症で…」と話すが、とにかく年齢の垣根を取らなければ、本音で話ができない。

電話相談は、一段落するまで1時間くらいかかる。それに耳を傾ける心のゆとりがないと、相手の方が何を困っているのか、何を相談したいのか、ちゃんと聞けない。ちょっと時間があるからという状態で受けると中途半端になり、お互いが不完全燃焼になってしまう。

昼間や、仕事の合間にかかってきた電話はじっくり聞くわけにもいかないので、どうしても不完全燃焼の電話になりやすかった。「すいません、あとでお願いできますか」という対応では、再びかかってこないことが多い。今聞きたい、今教えて欲しい、今しか時間がないという気持ちで電話されるので、これは当たり前だろう。

夕食の準備中にかかってきたり、夜中11時にかかってきて2時間話すという相談もあった。朝から、夜遅くまで、年々電話の件数が増えてくるし、何とかならないかなとずっと思っていた。

そんな時、中日新聞の記者から電話がかかってきた。「明日、家族会の電話番号が載るからね」。「ありがとうございま~す!!」と呑気に答えた。ところが…。

“リーン、リーン”
「新聞を見ました。困っているんです」
“リーン、リーン”
「新聞を見ました。話を聞いてください」
“リーン、リーン”
「新聞を見ました。うちの夫が…」

翌日は朝から電話が鳴りやまなかった。あわてて新聞をみると「呆けの介護をしている人、倒れる前に相談を!」とある。相談場所として会の電話番号が、でかでかと掲載されていた。「新聞を見ました」の電話はそれから1週間続いた。

最初の3日間は、仕事はもちろん、食事の準備をする時間もないくらい電話は鳴りっぱなし。相談する場所があることで、こんなに困っている人がいるのだ。これまでも何とかならないかとは思っていたのだが、この騒動で「もう個人で、相談を担っているような時代ではない」と悟った。

そこから電話相談の常設に向かっての歩みがはじまった。ちなみに私は何かやる時、まず10年先のビジョンを考え、そこから5年先、3年先、1年後と逆算して、今やるべきことを考えるようにしている。そして途中で軌道修正しながら、10年先を目指していく。この電話相談の常設では、二つのことを考えた。会の今後と電話相談の今後である。

当時、世の中は介護保険導入で騒がれていて、介護家族の支援にはまったく目が向いていなかった。おそらく7年後くらいには、介護者への支援が大事ということになり、各地で介護家族の交流会が開かれるようになってくるだろう。そうなると名古屋会場での私たちの“つどい”は、今ほど必要とされなくなってくる。

じゃその時の会の役割は何だろう。交流会は増えても、電話相談は個々に開設するのが難しい。誰でもかけられる電話相談は、軌道に乗せるまで時間がかかるが、地域交流会のサポート役ともなれるのではないか。きっと電話相談が、今後会の活動の柱として動いていくだろう。そして数年が経てば、それなりに実績が出てくるだろう。

活動の実績をより生きたものにしていくには、そこまでに至る過程も大切にする必要がある、そう考えた。ただし、常設の電話相談にするにはかなりの人数が必要で、現在の世話人だけでは到底、無理だった。そこで電話相談スタッフを一から養成することにした。

<電話相談スタッフ養成講座>

電話相談員の養成講座は、祖父江園長が代表を務める団体で実施していた、子ども虐待の電話相談のカリキュラムを参考に、独自のものを考案した。相談員として活躍するまでには書類選考に合格し、半年に及ぶ講座を受講し、かつ電話相談員としての適性を見極める最終審査に合格しなければならない。詳しい内容は以下のとおりである。

①書類選考…申込書+原稿用紙3枚以上「応募の動機」を記入
②受講…座学+体験学習+宿泊研修の3部で構成
・座学(ロールプレイも含めて月1回半年間)
・体験学習(”つどい”の参加と、会が実施する講演会への参加・A学園での交流事業に1日ボランティア参加)
・最後に1泊2日の宿泊研修
③委嘱状…最終審査
・受講料20.000円(資金がないので講座 開設費用は受講者からいただく)
・受講資格…介護経験を問わない

なぜ介護経験を問わないのか。たとえば嫁介護者の相談では、妻の介護をした男性介護者よりも、介護経験がなくても嫁の立場の人のほうが共感や傾聴ができる。自分の経験を相手に押し付けてしまうなど、逆に介護経験がマイナスに働く人もある。そう思うと、絶対というほど介護経験にこだわるほどでもないのでは、と考えた。

当時、常設の電話相談では東京都支部が実績を重ねており、世話人6~7人で週に2日か3日実施するという形だった。他の支部は、ほとんどが愛知と同じように代表や世話人個人で受けている状態だった。そして家族の会の電話相談は介護経験者でなければならない、というのは常識のようになっていた。

その中で、養成講座でスタッフ育成を行うこと自体画期的であり、しかも、“介護経験の有無を問わない”という募集の仕方と、選考をしていく、そのうえ受講料まで取るとなると想定外のようで、「そんな、人を選ぶだなんて」「ボランティアなのにお金までとって」「介護経験がない人には無理だよ」など、他の支部からはいろいろな「忠告」を受けた。新しいやり方は、なかなか受け入れられるまで時間がかかるようだ。

平成11年2月、募集がはじまった。初めての取り組みということで、どこの新聞社も大々的に取り上げてくれた。そして、電話が殺到した。マスコミの力は凄い。養成講座の問い合わせは300件あまり、なかには「日当はもらえますか?」「自宅で電話を受けるのですか?」「交通費はもらえますか?」という質問もあった。

資金がないので、日当はもちろん交通費も出す予定はない。お金まで出して受講して、ただのボランティアをするのである。それでも実際に応募してくれた人が150名もいた。とても驚いた。だが、募集は30人である。関係者7~8人で、原稿用紙3枚以上の応募の動機150名分を読み、選考した。これはとても大変で、2日間を費やした。頭の中がヘロヘロだった。

ちなみに書類選考で最も重視した基準は、介護家族の気持ちに寄り添えるかどうか、そしてその人の生活感であった。なかには施設勤務10年以上の人の申し込みもあったが、現場で働いている人の多くが認知症の人の立場で書いてあり、介護家族の視点に欠けていた。介護される側の視点の強い人は、介護者の相談を受けながら指導をしてしまうこともあり、傾聴が難しくなる。

「腹がたつ!!」と相談している人に「ご本人が動揺するので怒ってはいけない」と平気で言ってしまう。根本的に視点が違う人に、いくら介護家族の立場でと言っても無理がある。文章には人柄もでるので、読んでみて家族会の電話相談に向いているかどうかはほぼ推察できる。

30名の受講は緊張の中で始まった。こちらも初心者なので、試行錯誤だ。無事に半年間が過ぎ、終了の日を迎えることになった。半年間ご苦労さまという気持ちも含め、修了証は絵の上手なメンバーに花の絵を描いていただき、字が達筆な方に文章を書いていただき、すべて手作りにした。1枚1枚違う、それは、それは素敵な修了証ができた。受講生のみなさんにはとても喜んでいただくことができた。

養成講座もあとわずかという時、はたと気付いた。相談日は平成11年11月11日にしよう。この日なら絶対に開設日を忘れない、ということで、平成11年11月11日に愛知県支部の電話相談が始まった。  (つづく)


 

2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載します。

但し残念ながら尾之内が会に参加し始めて(平成6年頃)からのお話しですので、1980年8月31日に発足してから先代の皆さまが頑張ってこられた15年間の歴史についてお伝え出来ませんことご了承くださいませ。