会報

【連載】介護家族をささえる (2020年8月会報より)

<京都・国際会議>

平成16年10月、京都で国際アルツハイマー病協会(ADI)の国際大会が開催された。一つの国で1団体なので、日本では「呆け老人をかかえる家族の会」が代表となっている。本部では国際大会開催のために4~5年前から準備を始めていた。3日間にわたる国際大会は延べ4000人が訪れ、大成功であった。このADIで愛知県支部の取り組みを報告することになったが、私が報告したのはもちろん「家族支援プログラム」である。まだ研究班が動き出したばかりであるが、学会報告を重ねて実績を作ることはこのプログラムにとって大切だと考えた。

ADIに出す抄録を作成中、ある論文を読んでいたら、“介護者支援のためのプログラムを…”という言葉が出てきた。「混同されてしまいそう…」と思い、差別化を図るため、プログラムに名前を付ける必要があると感じた。学会報告はその後の実績につながるので、早ければ早い方がいいだろう。さて何にしたらいいのか。

半年程前、講座1期生への効果をみて、講座の手ごたえを感じた私は「本当に介護家族が元気になるんです!」と本部の家族の会代表に訴え、家族の会でこの講座をやってほしいとお願いした。しかし「まだ実績が少ない」と取り合ってもらえなかった。そんな状況では「家族の会家族支援プログラム」とはつけられない。「愛知県支部」をつけると限定された感じになってしまう。だったらとりあえず自分の名前でもと思い、ナオミ家族支援プログラムにしようかと思ったが、その当時、バリデーションの最盛期で、提唱者であるナオミ・フェイル氏が作ったものと混同されるのではと思い、それはやめた。結局オノウチ式とつけ、京都の国際会議が学会デビューとなった。

その後、ADIの国際会議では平成18年にドイツのベルリン、平成21年にギリシャのテッサロニキにおいてポスター発表を行なっている。国内では認知症ケア学会へは欠かさず応募しており、平成20年、22年には石崎賞をいただくことができた。平成18年には「認知症でも大丈夫町づくりキャンペーン」に応募し、受賞している。

地道な活動でここまで実績を重ねているが、これは、講座の実働部隊として関わってくれている家族支援プログラムスタッフと、その実績を裏で形にしてくれる研究班スタッフの連携プレーあればこそである。この講座を作って本当によかった。やればやるほど、スーパープログラムだな、と感じている。崖っぷちを何とか乗り切り、二つの助成は無事に終了したが、この年の家族支援プログラムの実績がその後、徐々に実をつけていくことになる。

<マニュアルビデオづくり>

「介護家族の座談をビデオにして介護者の思いをもっと知ってもらいたいな」、ふと漏らしたその言葉に「それいいね」と、シルバーチャンネルの太田黒社長が関心をもってくれた。シルバーチャンネルは東京にある会社で、介護に関するビデオや番組を作っている。

社長との最初の出会いは、作業療法士K氏のテレビ回想法の学習会に出かけた時だった。社長の太田黒さんは女性であるが、豪快でさっぱりしていてとてもいい。その後は親しく話をするようになり、「家族同士の交流の場は介護の百科事典」という私の話に頷き、リフレッシュ旅行にも同行してくれた。バス酔いでヘロヘロになりながらも高山まで出かけた。懐かしい思い出だ。

ビデオは身近にいる介護者に集まってもらい、収録した。計5時間、長丁場だが実体験なので、話が面白く、アッと言う間に時間が過ぎた。それでできあがったのが、各1時間にまとめられた「呆け放談①」「呆け放談②」の各ビデオである。ビデオ制作は家族の会の活動資金づくりも兼ねていたので、ちょっと高いかなとは思ったが、「ビデオの売り上げは、呆け老人をかかえる家族の会の痴呆電話相談ボランティア活動の資金となります」と書いて、1本5000円で販売することにした。新聞で大きく取り上げてもらったことで、そこそこ売れて、収益は平成14年の電話相談スタッフの交通費に充てることができ、とても助かった。

そんなご縁があり、今度は平成16年、助成金を活用してシルバーチャンネルに「家族支援プログラム」のマニュアルビデオの制作をお願いすることになった。ビデオ制作にあたり、講座終了者・世話人・電話スタッフなど20人ほどに声をかけた。

「あ!!明日ビデオ収録だ、美容院に行き忘れた!」と気づいたのは、宮崎での家族支援プログラムの講座の途中であった。講座はどこでも通用するものかどうかの検証のため、宮崎県支部に講座開催を協力してもらっていた。毎月1回、飛行機で通っていたのだ。自宅には夜遅くしか帰れない。明日は10時から撮影開始なので、間に合わない。さてどうしたものか。講座を終わって、飛行機までに3時間ほどあるのでその時間を利用するしかない。「美容院に行きたいけど、どこか近くにないですか?」「私が行っているところに聞いてみてあげるわ」…TEL。「大丈夫、今なら空いているみたい」と、宮崎の代表に連れていってもらった。「あとは自分で帰りますから大丈夫です。ありがとうございました」とお礼を言い、美容院のイスに腰掛けた。

別に不器用なわけではないと思うが、どうも自分の髪の手入れは下手で、綺麗にできない。ビデオとなると、さすがにそれなりにしておきたい。シャンプー・ブローでと頼んだ。少し伸びていたのでやりにくかったのか、「長くて崩れやすいから、少し切ってもいいですか?」「え?!」「ちょっとだけだから」「あ~はい、どうぞ」。

懇意にしているお得意さんの知り合い、しかも名古屋から来ている、一生懸命に親切に対応する。そんな様子がよく伝わってきたので、断れなくてつい「どうぞ」と返事をしてしまった。眼鏡をはずしているので、よく見えない。しかし、なんだかたくさん切っている。出来あがりましたと言われ、眼鏡をかけてびっくり。短くなってしまった。ヒエー!!これでビデオ収録??と思ったがもう遅い。

その時気がついた。宮崎の代表の頭は、いつもとても短いショートだ。後ろは刈り上げにしたヘアースタイル。この男性美容師さん切るのが好きなのだ!と。マニュアルビデオを見るたびに私はこの事件を思い出す。

残念なことに、シルバーチャンネル代表の太田黒さんは、頭頸部のがんに侵され、数年前に他界された。平成18年、家族支援プログラム②の編集に出かけた時、「しゃべるとのどが痛くなる」といいながら結構いろいろと話してくれたのが最後になった。まだ50歳を過ぎたばかりだったと思うが、本当に残念である。


2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載しています。

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