会報

【連載】介護家族をささえる (2018年6月会報より)

<崖っぷちの迫力>

確か近くに住んでいらっしゃるような話を聞いたことがあるし、テレビでもよく出ているし。でも、こんなことに来てくれるかなあ。悩んで「ねえ、どう思う?」と義姉に相談。「来てくれるかもしれないよ!ダメもとで聞いてみれば」「そうだよね、ダメもとだよね」とうまいこと乗せられ、その気になってしまった。

でも、電話番号も住所も何もわからない、ただ“あのあたり”だけ。住宅地図でアタリを付けて、事前の連絡もなく突然に訪問した。土曜日のムシムシした日だった。玄関の表札で間違いないことを確認できたものの、なかなかチャイムを押す勇気がでない。どうしよう…と、近くをうろうろ。時間も過ぎていく。エイヤア!!と意を決してインターホンを押した。

「こんにちは…こんにちは…山田昌さんいらっしゃいますか?」

「はーい」

あっさりと玄関を開けてもらえた。あ!ご本人だ!!女優の山田昌さんだ!

「突然にすみません。ボケの介護で困っている人の為の講演会をやりたいのですが、お話をお願いできませんか」

「え!」と驚かれたが、寛大な山田さんは何の縁もゆかりもない私の話を聞いてくださり、ボランティアで、ということでOKをもらえた。多忙な方なので、自宅にいらっしゃるなんてことはそうそうあるわけでもなく、予定も空いていてラッキー!

今思えば、「訪問販売を断るのは得意なの」と言われている山田昌さんが断れないくらい、崖っぷちの私には迫力があったのだろう。火事場の馬鹿力とはよく言ったものだ(どうも実情はおどおどしていて、可哀そうで断れなかったようだ)。

山田昌さんは「名古屋嫁入り物語」で植木等さんと夫婦役をしている、名古屋弁で有名な女優さんである。私自身が話を聞いてみたいので、他の人も聞いてみたいだろう。都合のいい勝手な思い込みも幸いして、何とかスタートラインに立つことができた。

 

<初めての講演会>

講演会の人集めは大変だった。講演会なるものを開催するのは初めてで、老人会に声かけして参加の動員をお願いし、市役所の福祉課に相談してチラシを置かせてもらったり、新聞に掲載したり。回覧板に入れてまわしてもらい、知り合いに声かけをお願いしたり。暁学園の通信に掲載してもらったり、仕事で関わっている人に参加のお願いをしたり、その時にできそうなことはありとあらゆることをした。

介護している人も参加できるように、託児所の老人版である“託老所”を設置した。“託老所”は、名古屋市中村区で活動を始めたばかりだった宅老所「はじめのいっぽ」と地域の支え合いのボランティア団体の人にお願いした。家族の会愛知県支部からも、高島寿子代表はじめ数名が参加してくれた。老人会に参加をお願いしたかいもあって、講演会には200名近い参加者が訪れた。

タクシーがとまり、山田昌さんが会場に。降りると同時に、祖父江園長とハグ??

「なんだ貴方のところだったの」

「よくきてくれたね、ありがとう」

なんと、お芝居つながりで、二人は旧知の仲だった。山田昌さんにお願いできたと話した時も、祖父江園長はそうかとニヤニヤしていただけ。もっと早く教えくれればいいのに!

いよいよ午前の部の講演会。舞台は、寄せ植えの花々で飾りつけ、講演台は堅苦しいので使わず、ムートンを敷いた豪華な家具調イスに座ってもらった。何を隠そう、この豪華な家具調イスは、ふたを開けるとトイレになる、6~7万ほどの介護用品である。さらなる豪華さを醸し出しているムートンは、床ずれ防止用品。なんでも活用できるものだ。

お芝居の話や朗読、楽しいひと時であった。この講演会をきっかけに、暁学園との関係も深まり、1年ほど後にはボランティアの寄り集まりで、暁学園での要介護高齢者と子どもの交流事業が始まった。子どもたちはお年寄りとの交流ができるように、そして介護している介護家族は月の1日だけでものんびり過ごせるようにと、毎月自宅で開催していた介護家族の交流会を暁学園の敷地内にあるログハウスへと会場を移した。

暁学園での交流事業は、それから5年間続くことになるが、私にとってかけがえのない学びの場ともなっていった。

 

<暁学園での交流事業>

月1回第2日曜日、要介護者・ボランティア・介護家族で毎回40名近く学園に集まった。学園の子どもたちも加わり、さらに賑やかになる。子どもたちと、要介護者・ボランティアは学園の食堂スペースで、介護家族は、隣接のログハウスで、それぞれ分かれて1日を過ごす。食事は有料で学園の調理の人に作っていただいたが、いつもとても美味しい。食べることはやはり大事、楽しみの一つにもなっていた。

交流会の運営は、ボランティアにお願いした。開業医の伊藤光保先生と、訪問看護の山中初子さんに加え、地域で福祉活動している人や、施設へ訪問活動をしているグループなど、さまざまな人たちが加わってくれた。この人たちは介護家族の交流会を始める時に知り合った、地元の助け合いの会の方、知多市で講演会があった時に知り合った、施設を回っているボランティア団体、他には家族の会の活動を通じて知り合った人たちである。何かしらやっているといろいろな人と知り合えるので、その方たちに声かけして協力を得た。

利用者は、軽い認知症の人から、重度で寝たきりになった人まで誰でもOK。介護家族は、要介護者と同伴で参加しても、介護家族だけで参加しても、これも自由。学園の子どもたちは、下は1歳半から上は小学生くらいまでが、交流の場に出てきていた。

「寝たきりの重度の人なんだけど、連れてきていいかなあ?」

伊藤医師から提案があり、参加してもらった。ボーっとしてほとんど反応がない。ところが。1歳半の学園では一番小さな子が、ボランティアさんに抱っこされて、おばあちゃんの、ほっぺをチョンチョン!

「キャハ!!」

なんとこれまで反応のなかったおばあちゃんが声を出して笑った。目が輝いてきて、じっと食い入るようにその子を見つめている。

「え!!おばあちゃんが笑っている。声出して笑ってる!!」

傍らにいたお嫁さんの目からボロボロと涙が流れてきた。これまで3年間天井だけを眺めて、表情もほとんどなく過ごしてきた。誰が声をかけてもダメだったし、誰もがあきらめかけていた。その人が笑った!

ある日、子どもたちの喧嘩が始まった。思いっきり殴ったり蹴ったり、取っ組み合いの喧嘩になっていく。その様子を見てボランティアさんは、どうやって止めていいのか、どこまで口出ししていいのかわからず、おろおろしていた。その時、

「おいおい、喧嘩したらダメだよ。仲良くせないかんよ」

と、仏壇の花も食べてしまうという85歳の認知症のおばあちゃんがいとも簡単に喧嘩を止めた。当たり前のことを当たり前にできたのは認知症の人だった。

人はどんな人でもそれぞれ力を持っている。そしてそれはその人だからこその力である。暁学園での取り組みは、私にとても大事なことを教えてくれた。

一方、ログハウスでは、コーヒーやお茶菓子なども準備し、どこかのお宅にお邪魔しているかのような雰囲気の中での介護家族の交流会。木が醸し出す雰囲気はなんだか落ち着く。「よくしゃべったねえ…」と言いながら皆が笑顔で帰っていく。

暁学園での交流会では、送迎は手分けして自分たちの車で行なっていた。そのため地元の東海市には、日曜で使っていないのならデイサービスの車を貸してもらえないか、介護家族の交流会をもっとPRして欲しいなど、いろいろと打診をしてきていた。

しかし、行政にとっては、皆が好きでやっているサークル活動くらいの位置づけでしかない。のらりくらりでやんわり断られる。行政を巻き込んでいく難しさを学んだ。私自身に実績も信用もないので、そう簡単に行政が動くはずもない。ここでの試行錯誤の経験は、後々、家族の会の活動にもずいぶん役に立つ事になる。  (つづく)


 

介護家族をささえる

2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載します。

但し残念ながら尾之内が会に参加し始めて(平成6年頃)からのお話しですので、1980年8月31日に発足してから先代の皆さまが頑張ってこられた15年間の歴史についてお伝え出来ませんことご了承くださいませ。

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