【連載】介護家族をささえる (2019年8月会報より)

2019.10.01会報

<アルツハイマーデーの啓発活動>

9月21日は世界アルツハイマーデー。全世界の人に認知症の啓発をしていこうと国際アルツハイマー病協会が制定した日だ。家族の会では全国的に、各県支部で世話人が一斉に街頭に出て、リーフレット配布など啓発活動を行っている。9月21日、またこれが暑い。いつもかんかん照り。苦労する割には、リーフレットはなかなか受け取ってもらえない。

どこの駅もコンコース内では配布はできないので、駅の出口での配布となる。ちょっとでも中に入ろうものなら、警備員がすぐに飛んできて、「ここからにしてください」と注意されてしまう。毎回、2~3人は立ち止まって「うちも介護していて困っている」という話をされるが、ほとんど素通りされる。でも当然のことである。

私たちでも街頭で何か配布していたら、ティッシュでも付いていれば貰っておこうと思うが、よくわからない宣伝は避けて通るのだから。1日都合をつけて出かけ、頑張ったわりに、ガッカリ…。終わるとどっと疲れが出てしまう。同じボランティアをするなら、電話相談に入る日を増やしたほうがよほどにありがたいと、ついその費用対効果を考えてしまい、もっとうまいやり方はないのかと、ずっと思っていた。

平成17年からは、どうせ配布するならもっと効率よく、実質的に効果のある方法と考え、街頭でのリーフレット配布から、自治体訪問を始めた。愛知県下の市町村の高齢福祉課をまわって、電話相談のパンフレットとアルツハイマーデーのリーフレットの窓口設置をお願いする。リーフレットも県下各地で必要な人に手にとってもらえ、街頭で配布しているよりはよほどに効果的だ。事前に福祉課の課長さんに訪問依頼のコンタクトをとっておいて、1ケ所20分程度、そこの現状を聞きながら家族の会のPRをしてくる。自治体の“温度”の違いを肌で感じることができ、そこの認知症への力の入れ方がよくわかる。認知症サポーターの取り組みが熱を帯びてきているだけに、行政訪問は大事な活動になっていると感じている。

現在、愛知県支部のリーフレット配布は、街頭での配布から、ユニー(株)アピタの店舗内において認知症のブースを設置し、来店者に対して啓発活動をする取り組みへと発展してきている。これは「認知症買い物セーフティーネット」の取り組みを通して、認知症の啓発に、ユニー(株)の社会貢献活動として全面協力をいただけることとなり実現した。

来店者には家族連れも多いので、ブースでは、「マンガで学ぼう認知症」の冊子をパネルにして掲示し、認証の紙芝居・買い物ゲーム・たこ焼きゲーム・ぬりえコーナーなど子どもたちが楽しみながら認知症を知ることができるように工夫をしている。大人の人には簡単なアンケートに協力していただいているが、認知症を知らない人がとても多く、認知症イベントは大事な啓発活動となっている。事前の準備は大変だが、いろいろと知恵を出し合い、みんなで楽しみながら取り組んでいる。

<電話相談の本を出版>

電話相談を開始して半年の平成12年初夏、出版社より電話相談の本を出さないかとのお誘いがあった。電話相談を通して認知症の介護の仕方がわかる本という企画だ。

まだ相談スタッフは一期生だけで、相談も週2日実施の時だった。本を出したことはもちろんないのでよくはわからなかったが、そう簡単に出版の依頼は来ないので、チャンスを逃さないよう受けることにした。愛知県支部の電話相談にとってはPRにもなる。どうやって作ろうか。せっかくなら、相談スタッフ皆に何かしら携わってもらいたいと思った。まだ個々にはそれほど電話を受けているわけではなかったので、皆が原稿を書けるかどうかもわからなかったが、とりあえずやってみることにした。Q&Aで全体を構成していく本にすることが決まり、事例を一つずつ相談スタッフに割り当て、原稿を書いてもらった。

電話相談スタッフの中に、絵が得意な人がいた。とても優しい絵で、似顔絵も上手だ。そこで彼女にイラストを頼んだ。専門職からのコメントもいれることになり、会に関わっている人に原稿をお願いした。医師や・ケアマネ・弁護士・作業療法士、介護福祉士、ソーシャルワーカーなどだが、ここには実名で登場してもらい、似顔絵を入れるのである。知っている人なら、「似てる、似てる!」と楽しめる。そんなちょっとした遊び心も入れ込んである。なかに「介護こぼれ話」なども入っていて、退屈にならない工夫もあり、面白い。

例えば、こんな感じだ。

ある夜、私は、昼間姑がひっくりかえしたタンスの衣類を整理、隣の部屋では、夫が姑と一緒にテレビを見ていました。ちょうどオリンピックで「柔ちゃん」が金メダルをとったときのこと。

姑「お祭りだね」

夫「オリンピックだよ、金メダルだよ」

姑「にぎやかだね」

夫「うちの金メダルは、お母さん(妻)だなあ…」

聞こえないふりをしたけれど、その言葉がうれしく、本当に夫から金メダルをもらったような気もちになりました。

この本を完成させた時には、もう二度と出版は嫌だと思ったほど、大変だった。何が大変かと言うと、その校正だ。各自に原稿を書いてもらったのだが書き慣れていないことや、電話相談スタッフとして受けている件数もまだ少ないこともあり、残念ながらそのままではとても使えない状態だった。重なっている答えも多い。でも、誰もが、たった1事例とはいえ、何日も何日もかかって苦労したに違いない。どうしたらいいのか?

ずいぶん多忙になっていたこともあり、2月の時点で、これを私がすべてまとめる時間はないと感じた。ちょうど電話相談スタッフのなかに、本の制作に関わった経験をもち、文章のうまい(書ける)人がいた。まずはその人にまとめてもらうことにした。皆さんが書いた文章を見ながら、できるだけ、その書いた人の言葉を取り入れて、回答も膨らませて上手にできあがった。ずいぶんの時間を費やしたことであろう。

凄いなあ、と感心しながら読んでいくと、どのQ&Aもいい感じで仕上がっていた。内容もとても濃い。しかし、Q&Aを三つ読んで眠くなってしまった。本として販売するには、本全体が楽に読めるということは大事な要素だ。これでは回答が丁寧すぎると気付いた。

出版社の担当者とも打ちあわせをして、今度は私が校正することになった。たくさんの文章量をスリム化していく作業なので、皆さんの原稿をまとめて作り上げるよりは、まだ私には向いていた。たくさん書いてあるものを校正することで、エキスが凝縮できるので、短く内容の濃い文章ができあがる。元の原稿の文字数を3分の1、4分の1にまで削るので、思いきりも必要だ。遠慮していては、校正はできない。

4月~6月は、毎日、毎日昼も夜も時間のある限り、原稿を読み返しては校正をしていった。電車のなかでも会議の合間にも持ち歩いた。とにかく一般の人が、読んでわかりやすいこと、それを一番の目標にした。6月中旬が締め切り。寝る時間はほとんどなく、何度原稿を読み返したことであろうか。

仕事にしたら1年分働いた気分だった。「本を出すというのは、こんなに大変なんだ」と。長男を出産したあと、“もう子どもは産みたくない”と思ったくらい大変だったが、まさにそれと同じ、産みの苦しみでもあった。

平成13年7月に初版4000部が全国の書店に並んだ。もうとっくに完売になっているのだが、そのあとの増刷はされていない。問い合わせはそこそこあったようだが、増刷は3000部となるため、在庫が残らない目途が立たなければ難しい。

本には印税収入がある。どのくらいなのかは、その著者や出版社との交渉により違う。有名な人ほど高い。いくらだったかはよく覚えていないが、たしか27万円前後だったかなあと思う。1年働いたくらいの労力がかかり、印税はそんなものだ。

活動費を稼ぐのは大変だ。ベストセラーになって初めて儲かるのだ、とわかった。まあ本として形になったので、それだけでもよかったと思うことにしよう。


 

2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載します。

但し残念ながら尾之内が会に参加し始めて(平成6年頃)からのお話しですので、1980年8月31日に発足してから先代の皆さまが頑張ってこられた15年間の歴史についてお伝え出来ませんことご了承くださいませ。