【連載】介護家族をささえる(2020年12月会報より)

2021.05.16会報

<きずなの会誕生>

交流会、1回目
「交流会だけじゃなく、何か楽しみながらやれるように、この1年間の予定を決めましょうか? 勉強会やランチも入れて。何がいいですか?」
4月・5月・6月・7月……と黒板に書き出して皆で決めていく。
「やっぱりお医者さんの話が聞きたいね」
「施設見学もいいんじゃない?」
「ランチ会はどう?」
医師を呼んでの勉強会と新年会を入れることになった。
「お茶とかお菓子とかどうする?」「他はどうしているんですか?」「東郷町の交流会はお世話係の人がお茶やお菓子を買ってきて、来た人から100円の参加費をもらっているの。下手に会費とか決めると、会計報告など面倒なことが増えるので、もっと気軽に、どんぶり勘定でやっているよ。どうせ金額も少ないし」。

前年に助成金で家族支援プログラムを実施した東郷町ではすでに交流会を立ち上げていたので、皆さんにその様子を伝えた。東郷町では、親戚がお金にうるさく、毎月家計簿を見せている人があり、「もうそんな細かなことはこりごり、ここでは面倒なことはやめたい」という意見が出たことで、ゆるやかに運営しているのだ。
「うちもそれでいいじゃない」「私、来月、お菓子買ってくるわ」「お願いね」とすんなり話がまとまった。

交流会、2回目
「ねえ、9月にお医者さんを呼んで勉強会やる予定だけど、大阪からテレビにもよく出ている有名な先生が来てくれると言っているの。この交流会の人だけで話を聞くのは勿体ないから、せっかくなら講演会にして、もっとたくさんの人に聞いてもらわない?」
「いいね」「病気のことを皆に知ってもらいたいよね」「やろうよ、幸田町に介護家族の交流会があるというのも広めたいし」「そうよ、ここに来ると楽になるから、たくさん来てほしいよね」と、勉強会の予定は、松本先生を招いての認知症の講演会に変わっていった。

交流会は家族支援プログラムの講座とは違い、「介護している人なら、いつでもだれでも来てください。都合のいい時に参加していただければ結構ですから」という状態にしておくことが大切である。しかしそうなると強制力がないので、立ち上げた時はその雰囲気や勢いで参加者が多いが、回数を重ねてくるとマンネリになりやすく、少しずつ参加者が少なくなってくるというのが通常のパターンである。マンネリ化を防ぐために、いろいろと工夫が必要となるため、その仕掛けとして講演会を提案したのである。松本先生なら良い講演会になること間違いなしだ。

「じゃどこでやる?」「ここでも50人くらいは入るね」「今、認知症は関心があるから結構参加者があるかもね」さりげなくもう少し規模を大きくできるよう口をはさんだ。「町民会館は?あそこなら200人くらい入るよ」「駐車場もあるし」「そこでやろうか?場所が取れるかな」。

会場確保は福祉課の人にお願いし、毎回の交流会の時間をちょっとだけ使い、半年ほどかけて少しずつ講演会に向けての打ち合わせを行った。「テーマは何がいい?どんなことを地域のみなさんに伝えたい?」「介護家族のことをもっと知ってほしいよね」「病気のことが知りたい」「サービスのことも知りたい」……それぞれの意見をもらいながら、骨組みを皆で作っていった。講演会は、これまで家族の会で何度も実施しているので、ほぼ私の頭のなかに全体像はあったが、皆で意見を出しながら組み立てることが大切だ。その作業により、それぞれに役割感が生まれ、思いも深くなる。
「交流会のPRのためにも、会の名前があったほうがいいよね」ということで、会の名前は「きずなの会」に決まった。

<きずなの会の底力>

「私は近くの喫茶店に貼ってもらうわ」「私はもう友達に声をかけているよ」「老人会の集まりがあるから配れるよ」と、それぞれが手分けしてチラシ配布を行った。もちろん町の広報にも掲載し、PRしてもらった。

「え、150人!!なんでそんな広いところでやるんだ。人集めどうするんだ。50人くらいでなんとかならないのか」、チラシをみて課長さんが担当の保健師さんに言った。よほどに有名な人がくれば別だが、幸田町の人口からすると、講演会で150名を集めるというのは至難の業のようだ。
当日、「参加者が少なかったらすぐに役場に電話しろ。皆で行くから。」と、ずっと参加者数の心配をし続けていた課長さんは、保健師さんに声をかけ、準備に送り出した。
朝10時に集合し、まずは椅子並べ。万が一ということもあるので、会場の椅子全部(200席)を準備した。12:50、開始10分前。参加者はまだ70名ほどだ。いっぱい並べた椅子はガラガラ。
「やっぱりこんなもんかなあ」。ちょっとガッカリしていたら、「こんにちは」「こんにちは」「こんにちは」、次々と人が入ってくる。たった10分で、あっという間に会場はいっぱいになった。スタッフが座る椅子もなくなってしまうほどだ。
びっくりである。

はじめに松本先生の講演。そのあと、きずなの会メンバーによる介護体験だ。91歳の男性介護者は、地域の人から慕われている有名な元校長先生である。「毎日ばあさんを車椅子に乗せて散歩しとるんだが、そうすると道で行きあう人が声をかけてくれる」「校長先生元気かね。介護大変だね」「ああ大変だあ……」「まあそんなに大変なら施設へ入れちゃえばいいがね」。別の日に違う人に会うと「校長先生、元気かね。介護大変だね」「ああ大変だあ……」「まあ仕方ないわなぁ……今まで世話になったんだで」。人はいろんな事を言うもんだ、と味のあるいい話をしてくださった。

その後、その場で回収した質問をもとにしたディスカッション。どう流れをつくろうかと、進行担当の私の頭の中はフル回転である。このディスカッションで、講演会の善し悪しが大きく影響されるので、責任は重い。

結局、開始から3時間という長丁場にも関わらず、ほとんどの人が途中で帰ることなく、熱心に耳を傾けてくれた。大成功であった。
「ああ嬉しい」「よかったね、たくさん来てくれて」と、きずなの会のメンバーは、何とも言えない達成感に包まれ、感動にひたっていた。講演会の内容が良ければ、後日きずなの会のメンバーそれぞれが声かけして誘った友人や知人から、後日「ありがとう、行ってよかった。いい話が聞けたわ。声かけてくれてありがとう」とお礼の電話が入る。その言葉は、さらに皆さんの達成感を高め、交流会の活気へとつながる。

行政に限らず、人は肩書で評価される場合が多く、“医師”と書いてあれば水戸黄門の印籠であるが、“家族の会”では、そうはいかないのが現実だ。しかし、今回いいものを提供できたことで、行政の私たちへの信頼度がちょっと増したかな、と感じた。
その翌年には、山梨で開催された全国研究集会で、これまでの家族会発足の取り組みを幸田町から応募していただき、保健師さんが報告をしてくれた。現在も良い雰囲気で「きずなの会」は続いている。


2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載しています。