【連載】介護家族をささえる(2021年2月会報より)

2021.11.01会報

4 発展期

<新たな展開に向けて>

平成17年からはじまったアルツハイマーデー自治体訪問では、「家族支援プログラム」を取り入れて欲しいとお願いした。全国的に地域包括支援センターの設置が決定しており、地域支援の取り組みとして何をしたらいいのか模索中のところに講座の提案ができたことはとてもタイミングがよかったようで、翌年(平成18年)には、7市町村で導入してもらえることとなった。自治体の多くは、前例がないと関心を示してくれないので、すでに幸田町で家族支援プログラムが始まっていたことも大きな後ろ盾となったのではないかと思う。

自治体の講座導入に、担当者の意識はとても大切である。一生懸命な自治体には、私たちも力がはいる。尾張旭市では担当の課長が保健師として経験豊富な方だったこともあり、「認知症の家族会を作りましょう」と介護家族支援の話にとても関心をもっていただき、講座の実施が実現した。その後、講座の受講者を核にして、尾張旭市の家族会「笑顔の会」を、無事に発足することができた。それを見届け、課長は定年退職されたが、私たちの力を信用していただき、とても感謝している。

これまで多くの自治体の担当者と関わらせていただいているが、熱心で良い人たちがほとんどなので、気持ちよく関わらせてもらっているし、私たちも頑張ろうという気になる。お互いに「お世話になります」の謙虚さが、いい関係作りにつながっている。

家族支援プログラムはとてもいい。これを広く普及するためには、人材育成が欠かせないし、マニュアル作成も必要となる。それを考慮して、自治体訪問と並行して「効果的な介護家族のための、ファシリテーターの育成および介護家族支援マニュアルの作成事業」という内容で、次なる助成金の申請にチャレンジした。またまた運よく、福祉医療機構の平成18年度500万円が決定し、家族支援プログラムは、自治体からの委託の他に、助成金事業として人材育成を目的にした講座を大阪・京都・富山で実施することとなった。名古屋会場も含めると、平成18年度の実施は12ケ所である。

京都と富山は、家族の会の支部に声をかけて実施が実現した。毎月通い、細かなノウハウを伝えたが、この時の成果で、京都支部では、翌年から1ケ所だけではあるが行政からの委託事業として講座の実施が実現している。家族の会の支部活動として「“つどい”・電話相談・会報」の3本柱のほかに「家族支援プログラム」も加えて欲しいが、予算の関係もあり、なかなかそこまでには至っていないのが残念である。

総会などに参加して感じるのは、どこの支部も、若い人たちがあまり育っていないことだ。いつも同じ顔ぶれで10年たって、世話人の平均年齢が10歳上がっている、そんなところがとても多い。実際に「世話人が育たない、若い人がいない」という声をよく耳にする。その困りごとを解消できる力が、家族支援プログラムにはある。この講座の受講者の半数は60歳未満であるため、比較的若い受講者が多い。半年間、ずっと関わらせていただくことで、受講者同士だけでなく、私たちとの関係性も築くことができる。受講者のなかには活動を手伝ってくださる人もいて、実際に愛知県支部では、世話人・会報作成・電話相談・家族支援プログラムなどのスタッフとして、多くの講座修了者が活躍している。愛知県支部が、たくさんのいい人材に恵まれて、元気に活動できるのは、そんな理由も大きい。

<第一ステップ 交流会の交流事業>

交流会と交流会の交流事業をやるといいなあ、ふとそんなことを思った。いろんなことを考えていると、いろいろなことを思いつく。それをあれこれ膨らませていると、さらにいろいろなこととつながってくる。それを現実の活動ベースにのせていく。

東海市(しあわせ村)で開催している知多ブロックの交流会では、年に1回、介護者の研修として市のマイクロバスを借りて、施設見学に出かけたり、東海市内の福祉施設巡りを行ったりしてきたが、少々マンネリ化もしてきている。遠くまで施設見学に出かけても自分が利用できないところだと現実的ではない。どうせバスが使えるなら新しいことができないかな、という時期でもあった。

平成17年に、家族支援プログラムをきっかけに立ち上がった幸田町の交流会は、それなりに元気に活動していた。毎月スタッフが出かけていき、継続して見守り、支援をしている。年に数回勉強会を入れるが、ここも少々マンネリ化もしてきているので、このあたりで何か元気になるようなことはできないかなと思っていた頃でもあった。そこで以前から頭の隅にあった、交流事業をやってみようと思い、知多ブロックと幸田町の交流会を開催することとなった。平成19年のことである。知多ブロックの人たちはお互いに声をかけあい、参加者を集め、お土産はなにがいい?と楽しみに出かける。

一方で訪問を受ける幸田町のみなさんも、「お昼はどうする、何がおいしいかなあ」「幸田町のどこかを見学してもらう?」「筆柿が有名だから、柿狩りができないかどうか連れに聞いてみるわ」とあれこれ知恵を出し合い、話が進んでいく。結局、柿狩りは時期が終わっているということで、お土産だけいただいて帰ってきたが、交流会では皆が認知症の介護を経験しているので、あっという間に旧知の仲のように話が盛り上がる。

「東海市がやっている講座に出かけたことがあるよ」とか、「うちの親戚の近くだね」とか、世間は狭いものである。この交流で個と個の新たなつながりが生まれ、年賀状の交換が始まり、お互いに支えあえる仲間が広がっていく。それも自分の力でつながっていく。場を設定することは支援者である私たちの重要な役割と感じる。

翌年平成20年には、知多ブロックと三好町との交流会事業を行った。時間の都合で昼食までしか私は参加できなかったが、知多ブロック15人、三好町15人、合わせて30人の交流会は、それはそれは楽しい時間だったようだ。

昼食の時間だけでも、びっくりするぐらいのパワーを感じた。よく私は介護家族は社会資源と言っているが、まさにそれを目の当たりにした気がした。
2ケ所だけでもこんなに元気なので、これまでに家族支援プログラムで立ち上げた各市町の交流会全部が集まったらどうなるだろう、三好でおいしいランチを食べながら、私はすでに次のステージのことを考えていた。


2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載しています。