『認知症あるある』は、認知症に関する生活上のトラブルやその対応の実体験を集めて掲載しています

認知症あるある

行方不明

施設に面会に来た、よその家族が帰る時、本人が一緒に出てしまい、この時は昼食前から7時間程度行方不明。
入口のドアはカバーがついていたが、ボタンを押せば開閉自由だったため、その後暗証番号の必要なドアに変わった。また、入口には「面会者と一緒に入所者が出ていくことがある」との注意書きがはられた。
施設入所数カ月後、入口が開けっ放しになっていて、そこから外へ出た(この日はイベントで従業員が外へ出ていて人手不足だった)。昼食後から数時間行方不明。
夕方本人が駅へ行き、駅員に何か尋ねたらしく、駅には届け出済みだったため、駅員から連絡が入り解決。
兄弟で待ち合わせをしていたが、待ち合わせ場所で会うことが出来ず行方不明。
家族で待ち合わせ場所付近を探す。結局見つからず、警察に依頼をした。夜遅くに自力で帰宅した。どこへ行っていたかは不明。
犬の散歩へ出たまま帰らなかった。
家族で捜索後、警察へ依頼した。夜中に警察により保護。市外まで、かなりの距離を歩いたらしい。車で通りかかった人が不審に思い、警察まで連れて行って下さったらしい。
朝、私が目を覚ますと居なかった。自転車がなくなっていて、自宅付近にもいなかった。
警察へ届け出。朝の車通勤者の方より110番通報があり保護された。車道を逆方向に通行していたらしい。その後玄関ドアにチャイムを付け、自転車は施錠した。
夕方、私が帰宅するといなくなっていた。自宅付近を探すが見つからない。
GPSを持たせていたので検索すると居場所が検知できて、警察へ届けを出して保護。それ以降、私は仕事を辞め、常に傍らにいるようにした。
同居していた当時、私の出勤前に「病院へ行く」と聞いていたが、私が帰宅しても帰っていない。電話しても出ない。数時間後着信に気付いて折り返し電話あり。入院となったそうだが、私の携帯番号を登録できておらず、本人も不安になっていた。様子を聞いても本人の記憶があいまいで意味が分からない。(入院は認知症とは無関係)
電話は自宅へすることを確認した。その電話で病院名と病棟を聞けたので、今度は直接病院へ電話し、様子を伺ってから病院へ行った。本人の話は聞くが、情報は看護師さんとやりとりして、不明なことがないようにした。
風呂掃除などで目を離すと外へ出て行ってしまった
風呂のドアを開け、脱着場に座らせて目の届くところで掃除をしていたが、すぐに出て行ってしまうので非常に困った。
口論になり、不満だった妻が「家へ帰る」と言って徒歩で出て行った。すぐ帰ってくると思ったが思わぬ遠いところまで行ってしまった。
買い物へふたりで行く予定だったのに、私が家の中にいるうちに、妻だけ外へ出て何処かへ歩いて行ってしまった。
2回目の行方不明時にケアマネジャーに相談したら、市の福祉保健部高齢福祉課から見守り安心マークのワッペン数枚とともに「見守り安心マーク利用申込書」をもらってきてくれた。「無事に家へ帰る」のワッペンも大げさで嫌がりそうだったし、対象者情報の事前登録(警察や探してくれる協力者への連絡の為)が必要なことを知り、もしそうなった場合に「見つかりましたから」と言ってお詫びの電話をあちこちにしなくてはならないと思いビビってしまった。まだ油断はできないが、足腰が弱くなったので、心配の必要は大幅に低減していると思う。
二人で散歩中、私が腹痛でトイレに行きたくなった。慣れた道だと思い、本人に「駐車場へ行ってね」と伝えトイレへ行った結果、見失う
同じところを何度も行ったり来たりと探すが見つけられず、初冬だったので 辺りも暗くなってきて警察へ依頼。
1時間ほどかかって無事保護。温かいストーブの前でウロウロとしていた。
旅先で、夜、主人が寝たと思い私は一人大浴場へ。その隙に行方不明。
ホテル中探したが不明のため、添乗員に報告し、警察に捜索依頼。その後警察により保護された。旅先では部屋の風呂又は、家族風呂を利用することとした。
半年に1度くらいだが、父が家からいなくなる。20~30分くらいで今のところは自力で無事に戻ってきている。私はまだ戻ってこられるからよいと思っているが、母は心配し続けている。
靴、下着、上着などへの記名をしている。市役所に行き、行方不明になった時の対応の申し込みをした。
一人で外に出てしまった
近所の小学生と幼稚園児姉妹が声を掛け、散歩中のご近所さんにバトンタッチしてくれた。家の前でご近所さんと一緒に、母の捜索から帰宅する私を待っていた。
日曜日、母がいなくなり探した。
斜め向かいの家に入り込んでおもてなしを受けており、奥様が連れてきてくれた。
急に家を出て行方不明になった
周辺を捜したが見つからず、警察へ届けた。1時間ほどで保護。その後市役所でGPSを借りた。
夜中23:30頃ベットにいなかった。
主人は車で、私は徒歩、娘は自宅待機で捜索。警察にも依頼し、裏の公園の木の茂みでうずくまっていた所を発見される。
デイサービスとショートステイを利用していた時、徘徊が始まり、目が離せなくなった。近所のお店に入ってはお客さんに意味不明なことを話し、驚かせたこともある。一度私が徘徊に気付かなかったとき、偶然通りかかった知人が義母を見つけて連絡してくれた。
義母が一人で家にいる時間をなくし、外に出た時はしばらく後ろを付いて歩き声をかけて連れ戻すようになった。
ケアマネから新しくできた小規模多機能施設を紹介してもらい、通所と泊まりの日数を増やし、私の負担を減らした。
母が同居するようになって2~3年は玄関ドアを自分で開けることができたので、今までそこにいたのに、と思う一瞬にいなくなることがあった。早朝に出かけてしまい、行方が分からなくなり探した。
近所の散歩中の方が保護してくれて、探している私たちに引き渡してくださった。
ケアマネから本人がいないと連絡が入った
ケアマネ、デイのスタッフで探し見つかった。この事件後徘徊がなくなった。本人にかなりの恐怖があった様子。
昼頃に自転車で銀行に向かったのに、深夜になっても行方不明で警察へ連絡
家族3人で必死で探したが見つからず、「明日もう一度探そう」と言っていた矢先、午前0時、近くの派出所から「ここにいるから迎えに来て」と連絡が入る。「この人、変?」と不審に思った大学生の方が排出所まで連れて行って下さったらしい。
デイサービスへ行き始めたころ、利用日以外の日に一人で歩いて行こうとして迷うことが再三あった。
施設の方たちが総出で探してくださることで解決
夕方にいなくなった。
警察へ依頼 2時間くらいで家の近所で保護
自転車で遠くへ行ってしまい行方不明
自転車に住所を書いた。親切な人たちが電話をしてくれたり、家の近くの方まで連れて行ってくれた。自転車は施錠した。
昼間から一人で外出し夜まで帰宅しないので徘徊による捜索願を出した。
交番へ届け出があり、日付が変わる頃に15km以上先の民家の軒下で発見された。捜索願を出していたので無事に保護できた。その後GPSを身につけさせ居場所が確認できるように配慮した。ここ1~2年は徘徊がなくなった。
行方不明
近隣の方と捜索した。
私が銀行窓口で対応を行っている間にいなくなった
警察に届け、GPSやケアマネ等の力を借りて保護。
朝8時前、知らない間に玄関から出て行ってしまった。
雨の日で、道路で転倒し、救急隊のお世話になり、病院にて再会した。
目を離した隙に自転車で出かけてしまい、何度も警察へ捜索を依頼。門に南京錠をかけて外に出るのを防止していると、本人が門と玄関をガタガタゆさぶり、隣人が迷惑な顔をして出てくる。隣人に謝って本人を家に連れ戻すが、同じことを繰り返す。行方不明の場合自分で30分程探してから警察へ。GPSはあるのに、持っていく暇なく出かけてしまい困った
グループホームに入所した。
アルツハイマーと診断を受けた翌年5月、朝6時に一人で散歩に出た。8時になっても帰宅せず、お昼まで待って、周辺を捜したが見つからず警察へ相談。16時頃警察から連絡があり迎えに行ったことがある。
20kmくらい歩いてくたびれて座り込んでいることろを巡回中の警察の方に保護されたらしい。当時は名前、住所、電話番後を言えたようで、警察から連絡があった。その後セコムのGPSを利用。端末をベルトに装着してもらったが 本人が一人で歩くのは不安だったので、家を出るときは一緒に歩くようにしている。
徒歩10分のスーパーに出かけたはずの母が1時間以上たっても帰宅せず、主人が車で探し始めたものの、薄暗くなってきたので、警察、デイ、ケアマネに連絡。数時間後、病院より救急搬送された患者の身元確認の電話あり。
いつどこで何が起こったのか、救急車に乗ったことも覚えていなかった。
自分の名前を聞かれ、旧姓を名乗り、子供のころに住んでいた地名を言ったらしく、上記から一人では行動出来ないことに気付いた。
偶然、財布に記名式バスカードが入っていたことで身元がわかったが、いつも持っていくとは限らないので、靴や服に名前を記名。玄関にはチャイムをつけて、いつでも追って出られるようにしたが、そ~っと出て行ったことも何度かある。近所、スーパーには母を見つけたら知らせてほしいと伝えた。
徘徊は大変だった。勝手にどこにでも行くので、近所の人に教えてもらい追っかけるのに大変。玄関にカギを付けたら裏から出たりするし、地下鉄に乗ってどこへでも行くし、気が休まらなかった。
地下鉄の時は夜遅かったので職員さんに留めてもらい迎えに行きました。探すときは、携帯を使い、事前に近所、コンビニ、警察にお願いしていたので、いつも協力してもらいました。最後は薬に頼りました。
散歩が好きだが、よく迷子になる。
携帯GPSで探す。
朝5時ごろ家を出て行方不明
すぐ警察へ写真を持って連絡。すぐ警察官が保護
要介護2で1人暮らしをしていた頃、一人で買い物に出かけ自宅へ帰れなくなり、行方が分からなくなった
民生委員、デイサービスの職員、ヘルパー、ケアマネの方が連絡を取り合い探してくれた。遠距離介護だったので、夜駆けつけた時には警察の方が買い物袋を沢山持ってウロウロしていた母に声をかけ、保護して自宅へ送ってくれた。これを機に民生委員等の方々と今後のことを話し合った。
迷子
迷子の時は捜しに出た。近所の人には一人で歩いていたら教えてもらうように頼んだ
朝など一人でいるときにいなくなる
近所の人が教えてくれたり、自分で探した。何度も行方不明になり、死を覚悟した
16時過ぎに1人で美容院(その美容院は2回目の利用)へ行き、帰りの道がわからなくなり、他市まで歩いていたところ、22時頃通りがかりの女性ドライバーに交番へ連れて行ってもらい保護
母が行方不明中、父は一人で自宅にいたが、居眠りをしていたため発見が遅れ、弟が交番に届けたのは18:30頃だった。私も親類等心当たりを自転車で捜索したが、当日は雨が降っていて、夜は肌寒くなり大変心細い思いをした。近年、母は足腰が弱り、遠くまではいけないと思い、近辺ばかりを探していた判断は間違っていた。以降、美容院へは私が送迎している。
徘徊
徘徊は小さな鍵を取り付けて解決
夕食後一休みしてふと見たら母がいなかった。家じゅう探しても見当たらず、不安の中、主人は車で、私は電灯を持って歩いて探した。結局見つからず警察へ依頼。徘徊はこの時1回だけだったが、足腰が悪くヨチヨチでつたい歩きの状態なので、まさか徘徊するとは思わなかった。
捜索後、近所の方が座り込んでいる母を見つけ通報してくれて、パトカーにて帰宅した。本人は「ちょっと用事があった」とのこと。パトカーで帰宅した時、自分たちは捜索中で留守だったので、「捜し歩く前に警察へ通報するように」とアドバイスを頂いた。
外泊で帰宅していたが、ホームへ戻る夜、車に乗せるために車庫横で待たせて、いざ車を出し乗せようとしたら姿がなかった。娘二人を呼んで一緒に探したが見つからず、警察へ依頼
警察へ連絡して30分後、市民から「高齢者女性を保護している」と通報があり、警察が現場へ行き本人確認した。その後本人を引き取った
自転車で主人とふたりで畑に行き、主人はいつも作業が終わるまで待っていたが、ある時、「ちょっと一回りしてくる」と言って自転車で出かけたまま1時間以上戻らなかった
ケアマネジャーに連絡。その後、警察、包括支援センターに届ける様指示を受ける。夕方30km離れた市で警察に保護されていた。その後、市役所でGPSの貸し出しを受けた。
私が引っ越して、父が一人で母を見ていた頃、少しでも目を離すと外に出てしまっていた。真夏は帽子も日傘も持たずに出かけてしまっていた。その日は冬で寒い日だったが、またコートも着ず出てしまい、父が探しても見つからなかったので警察へ連絡した
かなり夜遅く、10時ごろになって空港の中の横断歩道のような所で母が倒れているのが発見された。行方不明から10時間以上経過していて、どういう道で行ったのか全く不明。母は子供の頃街中に住んでいたためか、余り人の少ない山奥のようなところには行かなかったようで、いつもなんとか発見して頂けた。
散歩に出て帰宅できなかった
介護者で対応し事なきを得ている
深夜隣家等に「亡父、亡母が伺っていないか」と探し訪ねて歩き、自宅がどこかわからず帰れなくなってしまった。
自転車に乗って娘宅へ向かう際、転倒し、けがをした
警察に特徴など届けて万一の際の協力を要請するも「問題が発生してから受け取る」と不受理。地域の交番は受理してくれた。
自家製名刺に氏名、住所、電話、自宅目印、保険証コピー等を記載し、安全ピンで着衣につけた。自転車はキーロックして、キーは隠し保管した。徘徊に出そうなときは、一緒に散歩したり、少し離れて見守った。

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