会報

【連載】介護家族をささえる (2018年8月会報より)

<愛知県支部の代表に>

少し時間が戻るが、地域の交流会づくりをしたいと模索しながら、名古屋市で行われていた家族の会の“つどい”には欠かさず参加していた。その頃の会は会員数も少なく、世話人も3~4名で何とかやっているというこぢんまりとした活動だった。2ケ月に1回の”つどい”を続けるだけでも、病弱な高島代表にはずいぶん重荷になっていたようで、「誰か会をやってくれるような人はいないかな」といつも口にしていた。

そんなところに、活動を(正確には会報作りを)手伝いますという人が現れたものだから、代表にとってはこのうえもない朗報である。しばらくすると、私のところに毎日のように代表から電話が掛ってくるようになった。体調の悪さを常に聞かされていた私は、高島代表からの次期愛知県支部長の依頼を断るに断れない状況にもなっていた。とはいえ、会のこともまだわけもわからない状態で、何も出来るわけもない。

「困っているんです…愛知県支部の代表をやってくれないかと言われて…」

祖父江園長に相談した。

「そりゃ、やらなきゃいけないから、話が来ているんだ。俺が助けてやるから、やれ!!」

“俺が助けてやる”、この一言は強烈な殺し文句だった。祖父江園長の後ろ盾があるなら大丈夫。何とかなると思えた。

また、その10ケ月ほど前から、名古屋大学老年科の若い医師益田雄一郎氏が「僕に何か出来ることないですか?」と交流会に参加するようになっていた。阪神大震災で医師としてボランティアに出かけたのがきっかけで、自分にできることを、と考えたのが参加の動機だそうである。この彼に電話をし、「どうにも支部の代表受けないと収まりそうにない」と伝えた。

「そう…。で、受けるって返事したの?」。少し内情がわかっていた彼は、明らかに、電話の向こうで、ニヤニヤしていた。

「まだだけど、先生、副代表やってくれる?」

「いいよ。」

彼が副代表として支えてくれるなら出来るかも知れないと思い、皆さんの了解をいただき平成8年4月、4代目愛知県支部代表の尾之内(37歳)・副代表の益田(31歳)の迷コンビが誕生した。

 

ここで私について少し述べたい。副代表の益田医師は、ただの主婦がここまでやってきた、といつも私のことを冗談ぽくそんな風に言う。だが、本職は主婦ではない。自営(夫)の手伝いをしながら主婦業もやってはきたが、経理が専門ということで、実は2007年まで23年間本業として続けてきた仕事がある。

簡易保険団体の事務局だ。簡易保険をかけて、旅行や観劇に出かけるというあれだ。旅行やお芝居の企画・実施までを担う。そのため日帰り・一泊の温泉もよく出かけた。お芝居もたくさん観ることができた。まさに役得。私が子どもを育てつつ、フリーに動けるのはこんな理由があったのである。

家族の会の活動をするにあたって、私の所に事務所機能がすべて揃っていたことはとても幸運であった。あわせて私自身が事務処理に慣れていたことも幸いであった。なんでもそうだが、表が1なら裏方が9と、雑用をどれだけこなせるかが、どれだけ活動ができるかの幅にもつながってくる。そして活動以外のところで給料が得られていることが活動を続けるうえでの私の支えとなった。

 

<会報の充実>

交代に伴い、家族会の事務所は、高島元代表の自宅から我が家へ。引き継いだ時の会員数は67名。もっと多くの人に知ってもらえる会にしようと思い、とりあえず(軽い気持ちで)10年後に10倍の会員数を目標にした。

まず取り組んだのが「会報」の充実だった。会員にはなっていても“つどい”に出てくることができない人がほとんど。参加したくても出られないのだ。そこで家にいても情報が入るように、愛知県支部の会報は不定期発行4~8ページから、隔月発行20ページにした。ただし、20ページを作るためには、県下のあちこちに住んでいる人が寄り集まっての作成では無理がある。それほど世話人も多くない。

会報は別に世話人でなくても、文章書くのが好きな人、ワープロ(当時)が使える人などが集まれば何とでもなると思い、知り合いに声をかけて、会報係を組織した。他の人はどうしているのか、介護体験を入れたり、“つどい”の様子を伝えたり、できるだけ身近に感じてもらえるよう心掛けた。ちょっと発行が遅れると「会報まだ来ないけど」と電話が掛ってきたり、「交流会、マーカー引いて読んでいます」と言ってくれる人もある。いい加減な気持ちではいけない、と身が引き締まる。

会報もはじめの頃は、イラストもなく文字ばかり、とても読みにくいものだった。ところが何でもやっていれば上手になるもので、1年もするとかなり立派なものが作れるようになった。それから今日に至るまで、変わらずこの会報20ページは保ち続けている。

 

<つどい>

会報、隔月20ページなら、10ページにして毎月発行したら?と聞かれたことがある。実は、1回の発行に必要な労力は、20ページも10ページもそれほど違わない。だが毎月だと、それこそいつも頭の中が「会報…」「会報…」「会報…」。これは結構プレッシャーとなる。ボランティアなので、“無理がない程度”を考えることも長続きのコツだ。

会報だけが家族会の活動ではないので、毎月頭を悩ませるよりも、その労力は、別の活動に分散したい。ということで、次に取り組んだのが“つどい”である。2ケ月に1回だった“つどい”を毎月1回の開催に増やした。第一日曜日の13:30~16:00の時間帯である。

“つどい”の開催でもっとも大変なのは会場確保だ。人口が多い名古屋市は会場確保の激戦区でもある。はじめの頃の場所は名古屋駅前にある中小企業センター。会場確保のために、受付9時の2時間前から並ぶ。そうでないと会場確保ができない。夏場は汗だく冬場は雪だるま状態の完全防備でとても過酷。エアコンは受付開始の9時でないと入らないのだ。

会場確保専属の世話人さんのおかげで、無事に“つどい”が開催できたと言っても過言ではない。本当に縁の下の力持ちである。今は電話予約になり、とても楽になった。とはいえ、予約開始日を過ぎるといっぱいで取れなくなるので、気は抜けない。

 

会場の確保という点では、会場の場所も重要で、参加される人のアクセスを考えて、交通の便のいい会場を選ぶことが大事になってくる。アクセスが良いか悪いかで参加の人数や継続率が違ってくるからだ。人数がある程度あることで情報量が多くなり、参加して得られることも多くなる。また継続して参加できることで、参加者同士がお互いに顔なじみになり、お互いが声掛けし合える仲間も見つけることができる。

もう一つ大事なことが、同じ場所で、毎月第一〇曜日、○○時から○○時と決まった日時で、継続して開催していることだ。毎月1回決まった日に開催していれば、何月何日と開催日が分からなくても参加できる。

しかし一方で交通の便がいいところは、人気があり会場確保が困難とか、使用料が高いとかでやはり裏方は大変なことも多い。ご本人と同伴できるかどうかも参加のしやすさにつながってくる。サービスを使っていない人もあるので、ある程度その場合のサポート体制も整えていけるといいが、そのためのスタッフが必要になるので、人材的に難しい場合もあるかと思う。

 

“つどい”の回数を増やすとともに、参加費も300円から500円に値上げした。資金がないので、参加者で負担し合わないと運営ができない。家族の会は基本的には会員の会費で運営されるが、全国組織なので、年会費5000円を本部3000円、支部2000円と分ける。会員数×2000円が支部の1年間の運営費だ。これは会報発行だけで無くなってしまうくらいの資金である。

会で事務所の電話代を支払えるようになったのは、実に代表交代から7年目のことであった。活動には資金がつきものなので、活動の広がりとともに資金のねん出を考えるのはとても重要である。これについては、第Ⅱ章に詳しく触れていきたい。  (つづく)

 


 

2012年3月に中央法規から出版した著書「介護家族をささえる」より、愛知県支部の活動の歴史を連載します。

但し残念ながら尾之内が会に参加し始めて(平成6年頃)からのお話しですので、1980年8月31日に発足してから先代の皆さまが頑張ってこられた15年間の歴史についてお伝え出来ませんことご了承くださいませ。

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