
- 夕方まだ暑いのに窓を全部閉める。ペットボトルのお茶、コーヒーなどの箱が置いてあると「こんなに多量に買って」と怒る。
説明してもほとんどわからず、あまり母が怒ると父も逆上して2人の仲は険悪となる。 - 対処できないことが多い。
- 送り出しヘルパーを押したり 暴力があった。
- ケアマネ、デイのスタッフ、送り出しヘルパー、家族で話し合い。基本は本人の思うことを大事に考えること。デイの方と送り出しヘルパーの連携がうまくいっている。
- 老人ホームに入ってから、スタッフの対応が気に入らないと暴力を振るう事があった。力がないので手を払いのける程度。暴言もあった。
- 認知症が進むとともにアパシーになり、大人しくなった。
- 老人ホームに入る前、実家に母と二人で住んでいたいたころ、母の言うことが気に入らないと「殺してやる」などと言うようになった。
- かかりつけ医から「抑肝散」を処方してもらい、少し治まったかな?その後も少しはあったが母が何とか宥め、施設にはいる頃には言わなくなった。
- 発症2年目、一番手のかかる時に、隣に住む兄に朝一時間ほど見守りを頼んだ(約3か月程)。その時に兄の静止を振り切って暴れて、兄に「もう手におえん」と言われ、その後は私の出社を遅らせて見守った。
- 兄には手に黒ズミのアザが残った。私がデイの迎えが来る9時まで家にいて送り出し、デイからの帰宅時16:40頃までには帰宅して本人を待つ。その時から、仕事は6時間勤務が現在まで続いている(7年間)
- 前に、老健に行っていた時、拒否的で暴力があった
- 薬の調整の為精神科病院に入院している。今は、暴力は全くない
- 3年以上前、自宅でデイサービスの方に向けての暴力があった
- 今は全介助ベッド、車、食事も全介助です。世話をする方としては拒否も少なく大人しいので良好。食事は普通食になり嚥下もいいのでスプーンで完食。
- 自宅では声が常に出たり、家の中の徘徊はあったが、妻に対する暴力はなかった。が、ある日 歯止めがきかない感じがした
- 病院受診から精神科へ入院し薬の調節をしてもらった。1年後老健に入所。1年半後脳梗塞で右半身不随になり、車いすとベッドの生活でしたが、入浴拒否でまた暴力的なので精神科に戻り3か月たち、今に至る。
- 施設の方が親切でやってくれたことでも、気に入らないと突き飛ばしたりした(ピック病がさせることらしい)
- 自分の体力がなくなってきて、自然に大人しくなっていった。3年目には食べることができなくなり、体重が30kgとなった。胃瘻をつけ、その入院時に歩行できなくなり寝たきりとなった。寝たきりとなって7年たった。
- 夫から毎日のように言葉の暴力と身体への暴力があり、月に一度位は激しくなり、首を絞められたりしました。頭にはコブ、体にはあざが出来ました。
- 我慢するか逃げるかしかなかった。ケアマネが見かねて、施設の方や支援センターの方、子供と相談をしてくれて、一緒に生活するのは無理との結論で入院となった。
- 幻聴があり、警察へわけのわからない事を訴えに行ったりした。妻に対する暴力があり対応に困った。
- 認知症専門医へ連れて行き、投薬を受け安定するようになっている。
- 以前近所の奥さんに親切にしていたら、妻が嫉妬してその方に失礼な言葉を使ったり、失礼な態度をとったりした。
- 近所の方に病気のことを伝え、理解を頂いた。
- 一番身近な妻に対して、暴行や暴言がひどく、その度娘に電話が入り、娘も暴言を聞かされた。
- 包括の人からデイを勧められる。病院でアルツハイマーの診断を受ける。その後、脳梗塞を起し老健に入所。糖尿病もあり、現在右足膝下切断、両上下肢拘縮、医療処置も多く必要なため有料老人ホームに入所。
- 去年の夏、突然意味もなく怒ったりするようになって気を付けていたが、ちょっとしたことで「うるさい」と怒り出し、暴力を受けた。一回顔面を殴られ怖い思いもした。
- 専門医に相談。薬を変更。アリセプトからメマリーに変わり、今は暴力はない。
- 黒い服が好みだった母は、黒い服を着ている方を見ると自分の服を盗んだ泥棒だと思う時期があった。デイでは大勢の方の前でその人の黒い服を引っ張り、脱がそうとして大声で「泥棒」と言った。泥棒呼ばわりされた方はデイの利用が怖くなり、他の方も母を怖がり遠巻きに眺め、母は孤立した。
- 熱が冷めるまで通所停止(1週間から10日くらい)になった。しかし、忘れてはおらず、時々同じように泥棒呼ばわりしていた様子。ただ、頻度と勢いはなくなり、デイでは「離す」などの対応をした
アルツハイマーの患者と比較して、母の場合は精神のトラブルもあるのではと施設からの意見。主治医に相談し、施設側に納得してもらうために長寿の精神科を受診。問題なし、投薬などベストの対応を行っているとお墨付きをいただき、なんとなく収めたと言う状況。
その後母の状態も変化していき このトラブルは長くは続かなかった。
- 要介護2の時、暴言、暴力が毎日あり、着替え等の介護が出来なかった。遊びに来たひ孫に対しても怒るため、ひ孫が怖がり困った。通所施設でも、スタッフに対しては問題なくても、他の利用者の方へ突然物を投げたり怒鳴ったりするので迷惑をかけた。
- 担当医に相談し、アリセプトを中止したところ1ヶ月くらいで落ち着いた。
- 家族の外出が、1時間くらいは良いが、長時間になると携帯が鳴る。帰宅すると玄関まで出て待っていることが多い。時に気分が高揚していると登山用のステッキ等を持って待ちかまえ、時には振上げ、殴りかかるそぶりをする。(まだ実際に殴られてはいない)
- 振上げられる前に「遅くなりました」と言う。振上げられた時に身構え「やめて」と言うこともあるが、まだ大事には至っていない。顔を見ると一瞬興奮状態にあるが、自分の言いたいことを言うと平常心に戻ることが多い。
外出時は行き先、帰宅時間等を書いて台所の目立つ位置に貼る。
帰宅予定時間になった頃にはなるべく携帯の電源を入れるように心がけている。
長時間の時は、子供たち家族に来てもらうこともある。
- 「誰かがやってきて暴れて帰って行った。」「物が壊れた。あんたがが壊したんだろう!」(←本当は自分が投げて壊したもの)「ふすまが敗れた。物で叩いたようだ」等。その他本人がやったのに「誰がやったんだ」と言う。
- 本人が暴れた時は30分ほどそのままにして私は家に帰った。30分後に行き「誰がやったんだろう、ひどいねぇ」と共感してあげた。この様に言えるまでに私はストレスを感じ、悲しくなり大変苦しんだ。病気がさせることとして諦めた。
- 主人が物盗られ妄想における犯人であった。本人が自分のアパートへ戻る時に主人のタンスを開け「おじいさんのだ」と言ってタンスの中の下着を持って行った。「財布の中のお金を盗った、線香を盗った」などと主人の顔を見ると言いだして、我が家の物でも自分の物だと判断し持って帰る。
- 家への出入りが激しかったので 「泥棒のいる所に来なくていい」と私が拒否したりした。本人が私に「お父さん(主人)に、盗らないでと言っておいて」と言ってきたりしていた。本人が直接主人に訴えた時もある。
「盗ってない」「自分がどこに置いたか覚えてないんでしょ」と言っても、受け入れることは無かった。
「一緒に探しましょう」と言える状況になくて、これ以上の対応はしなかった。結局そのままアパートへ戻った。
- 隣人の家へ「ノコギリ盗んだ」と言いながら、バットを持ってすごい形相で怒鳴って行った。
- 隣人の息子が応対したら落ち着いて戻ってきた。
- 激しい暴力であざができた。メガネが壊れた。カマ、ノコギリがなくなった。いろいろ過去の出来事を話して興奮したりするので、家に居るのは怖い。
- 警察へ連絡。DVはもうしないと書類を書かされていた。母と別居してもらうものの、本人は納得いかず、お金をくれない。
- 急須、入歯、皿、湯呑み、扇風機などを投げつける。卵一パック、寿司などを床に投げつける。
- 力がないので身の危険は感じないが、投げられると心が痛いです。
危険なものはすぐに片づける。
- 同居中の母と父は家庭内別居状態。父は母にお金も渡さず、母は自分の年金で生活。広い庭の手入れを生きがいにしている父に対し、母は外に遊びに出て家事をしない。これは長年の二人の関係の為そうなったのだが、疲れたり、不満が爆発すると、父が突然殴りかかったり、棒で叩いたりした。
- 包括センターへ相談したがどうにもならなかった。専門の医療機関を受診させる。→投薬開始、アルツハイマーと診断を受ける。
- デイの職員を、まるで雇い主であるかのように、自己中心的に怒鳴ったりセクハラ発言などをするので注意すると、暴言、暴力的になる。
- デイ職員は「気にしてないから大丈夫」と、私が注意しなくてもいいよう受け流してくれている。
- 30~40年前に植えた木なのに「お前が木を植えるから日向ぼっこもできない」と電動ノコで切り根こそぎ抜いた。
- 土地を耕し畑にした。
- 家電・お風呂等、自分が使い方がわからなかったり使えなかったりすると、壊したりする。
- お風呂は時間設定し、デイから戻れば夜中までいつでも入れるようにした。
パソコンは壊され、娘がくれたパソコンも壊した。自分が使えないものを使っているのが腹立たしいようなので、自宅では使わないようにしている。オーブンレンジは「こんなもん使えん」と雨の中に捨てられ使えなくなったので、簡単な機能の物に変更
- お金を渡しても、もらったことを忘れ、時に暴力的になったり、自宅や、同一敷地内にある職場の、お金のありそうな所を必死で探してぐちゃぐちゃにする。
- お小遣い専用口座を開設し、カードを作った。カードの裏に番号と「迷っていたらお金の出し方を教えてください」と記入して渡した。2回作り直したが、カードを使うのは本人の方が諦めた。
小銭が欲しいと言ったとき、その都度渡すようにしたところ、パチンコでトイレに行く間に3~4回盗られ、パチンコに行く回数が減った。他にもいろいろ盗っていかれた。
事務所には自由に入れないよう、カギをかけて隠し持っている。
- 夜間大声を出して暴れる(5時間くらい)
- 身内で経営しているデイに通っており、自分も経営しているつもりで利用者の人数や職員の働きぶりをチェックして、動きが悪いと「何で気が付かんのだ!」と声を荒げて注意する。今の所、理不尽に怒る様子はないが、鬱になり辞めてしまった職員の方もいる
- 職員には、何故注意されるのかを自分で考えてもらい、父とうまくつきあってもらえるよう配慮する。
次第に職員に対して怒る回数が減り、働きぶりが少し悪くても、それが職員の個性だと考えてくれるようになった。
- 私が経営するデイサービスで男性職員を雇う手続きをしていると「男なんて雇ってどうするんだ!」「安い給料しか払えないんだから男を雇うな」「男をダメにする」と反対を受けた。
- 雇用契約を白紙にし、男性職員の採用をやめた。暫くは怒っていたが、雇わないことで納得し冷静になってくれた。
- 主たる介護者の母も認知機能の低下がみられ、母の行う介護や対応が気に入らないと、父は母に暴言、暴力を振るったり、物に当たったり、お金を持ち出してパチンコに行く。本人は冷静になると「自分が何であんなに怒れるのかわからん」と言う
- 手が付けられないのでほっておく。母の顔を見るだけで怒ってくる時は母を連れ出し2人を離す。
今のところは時間が解決するので問題ない。
父が不機嫌な時に、父が嫌う内容の話はしない。
両親は自分の好きなようにしている方が穏やかなので、互いに好きに出来る様、時間を作ったりしストレスをためないようにしている。
- 医師より車の運転をしないよう言われてからは、目の前に車があることでとても困り、次第に私に対して怒るようになった。その後、物を玄関に投げるようになり、食器、置物などがかなり割れた。
- 医師に相談し、薬を頂いて飲ませた。その後は落ち着いてきた。
- 母の徘徊が3分おきくらいになってしまった頃、息抜きでゴルフへ行った父の代わりに私が母を見ることになった。しかし、久々に会う私が他人に思えるのか家をすぐ出て行ってしまう。真夏日の中、追いかける私に般若の面ような恐ろしい顔で「来るな!」と大声で叫び、それでもついていくと殴られた。
- その時は、近所に住むお茶の先生(母が通っていた)のご自宅へ近づくと 自分で呼び鈴を鳴らし 親切な先生が 母を引き入れて冷たい飲み物など出されて落ち着かせてくださいました。結局この時、私が母のあまりの状態の悪さに、父に「お父さん、もうだめだよ。このままだとお父さんが死んじゃうから病院へお願いしよう」と言い、通っていた精神科病院へ入院となった。
- 暴れる、叩く、つねる、杖を振り回す、大声を出す
- トイレの始末ができなくなった時からリハビリパンツを利用。
- 父は、母と一対一、又は私と一対一の時、甘えて怒るので怖い。両親は二人暮らしをしていたが、母はうつ病になって施設に入りました。私はまだ通いで父と接しているので、まだうつ病にならないでいられるのだと思う。父の一番のイライラは、この家を守る跡取りや、お墓を守る人がいないので、この家にいたいという気持ちからきていると思う。
- かかりつけの内科医が優しく、短い時間ですが私の気持ちを受け止めてもらえていると感じている。家族会で自分の気持ちを話したり、周りの話を聞いて救われている。
- 認知症(要介護3、アルツハイマー)の母が老人ホームにいて、父が面会に行ったが、父が母に対して暴力をふるった(殴った)
- 老人ホームのスタッフが、父の訪問時に行動監視強化で対応
- 家から追い出された
- 包括支援センターが相談にのってくれることを知らなかった。2時間くらい経過してから帰宅
- 本人が昼寝する時は、妻(私)も寝る様強制された。食事も作れず、寝ながらパンを食べたこともあった。
- 電話相談したが気持ちは晴れなかった。個別の問題が大きいので電話相談では無理を感じた。
- 同居している家から嫁を追い出したいという思いがあるのか、「お前の家ではない、住めないようこの家に火をつけてやる」と脅す
- 家中のマッチを片付け、仏壇に火をつける行為は一人の時はさせない。
- 牛乳を頻繁に飲み、空になると「ない」「飲ませないのか」と怒ってくる
- 多い時は5時間に1Lパックを飲み干し、5分おきに飲んでいるときもある。冷たい牛乳を飲み下痢をしている。
- 「孫を見てやったのに」「今まで家事をしてやったのにお金を少しもくれない」など、今まで我慢していたらしいことを大きな声で独り言として言ったり、怒りをぶつけてくる。
- その場に居続けると怒りが強くなり、暴力的になるため、介護者はその場を離れるしかない。自分の言ったことも暴力も忘れることがほとんど。

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